すごく久しぶりに日記を書いてみる気になった。

『目標なきところに手段なし』
 走り高跳びでバー(横木)がなかったらどうなるのか?ある高校の陸上部が実験に挑戦したところ目標になるバーが見えないので踏み切りのタイミングがうまく取れなくて、バーがある場合に比べて記録は1cm以上落ちたという。やはり目標というものは目に見えて初めて目標になる。バーのない走り高跳びは目標がないのと同じで、飛躍は望めない。
 人間には目標があって始めて手段が見えてくる。敗走する兵が弱いのは個々の浮き足立った兵から戦いに勝つという目標が失われるから,目標がないから手段つまり逃げ方が解らなくなる。だから勝に乗じた敵兵にいとも易々と討たれてしまう。

少し本来の話題から逸れてしまうかもしれないが…。三国志や世界大戦など、戦争をシュミレーションできるゲームというのはたくさんある。しかしいつもある違和感を感じていた。1万の兵士と1万の兵士が戦った場合、ゲーム上では最後の一人になるまで戦い切ることが可能だ。しかし現実にこのようなことは起きるのだろうか。
それはゲーム上で「士気」と表現されているものと大きく関係している。人間は勝ち戦でなければ、命を賭して闘うことはできない。「この親方様のためならば死んでも本望」と全兵士が思うことは容易ではない。そのため、初戦というものは非常に大事である。戦意を失った万の味方の兵は(もはや兵ではないが…)100人の敵兵に劣る。
このことは実生活における他の色々なことにおいても同様だろう。「うまくいきそうだ」とまず思うことが大事なのである。「たぶん無理やろな」と思うことは早めに引き上げるのが肝要だ。

『希望なきところに努力なし』

希望がないところでは人に努力させることはできない。
また、希望がないところには努力するべきではない。