(4) 博士課程の悪循環

『柳田充弘の休憩時間』をいつも楽しく読ませて頂いている。僕のブログの存在をおそらくご存じないだろうけれども、いつもありがとうございます。
さて、4/17分の内容は『博士号取得者の資格』ということについて。また、『大隅典子の仙台通信』でも、同様の問題が取り上げられている。
一つ、話の中の内容で、「悪循環は続く」のではということが危惧されているが、実はこれは本当に自分も思うことである。博士進学者の誰もが思うように、そしてもうすぐ世間の人も注目すると思うが、博士の行く先は誰もが問題視している重要な問題で、科学技術立国を称する日本が根本的に抱える、人材活用の大問題である。にも関わらず、改善されるための解決法は今のところ出てこない。というか、実はあまりたいして問題だと考えられていないんじゃないかとすら思う。
実は、就職活動中に、国の機関に関係し、研究者に関係するようなところを実際受けた。まず大きな印象は、事務職だったので、「博士まで行った研究系の人間はあまり必要ない」という感じだった。まぁ、それはいいのだが、そのときに「研究者の立場からの視点で、これまでにない提言ができると思います」とプレゼンした。特に「研究者のキャリアパスについて、この不透明な状況を何とかしたい」と。しかし返って来た答えは、「キャリアパスについてそんなに不安定だと思うの?十分じゃない?」というような感じであった。これはとても衝撃的だった。研究者を採用する側の人間たちは、いまいち今の状況を深刻だと思っていないのではないか。それが本当なら、これは本当に深刻なことだ。
もう一つ、悪循環が続いたらどうなるか。それは博士課程の学生の減少である。生物学の実験系はもろにこの影響を受けるのではないか。なぜなら、学生そのものが労働者(しかも無給の)であり、研究が進む上での必須な労働力だからである。博士課程修了者のアカデミアにおける受け入れが少ないなら、大学院の定員削減案というのは解決策として当然論ずべき議題であるが、それが容易に受け入れられないのは、もし学生の数を減らせば研究が滞ることが明白だからであるという意見を耳にしたことがある。たしかにおっしゃるとおり明白だと思う。無給の労働力を手に入れようとすること自体が間違っているとは思う。この状況が続くと、先生方の無給労働力学生の獲得要望は残りつつ、定員割れの大学院が続出となるのかもしれない。現在の工学部のような状況で(修士で出て行く人がほとんどで、博士は極少数)、実験的生物学が果たしてうまくいくだろうか。あるいは、自己責任論と騙し騙しの教育によって、ふらっと入ってきた学生を受け入れ、それほど学生は減らずに状況だけが悪化していくという事態が継続するかもしれない。