サイレントヒル

実は意外にホラーが嫌いではないということに最近気付いた。ただし、ある特定のホラーに。それは、SFなホラーとでもいうものだろうか。同時に、実は、びっくり系ホラーが大嫌いだ。「来るぞ、来るぞ」と思わせておいて、画面にばっと出てきたり、でかい音を出したり。突然現れれば、それがお化けであろうが、単なる人であろうが、びっくりするに決まってるし、びっくりしそうな状況になったら、それが嫌だから耳を塞いだり目を閉じたりして怖いと思うのは当然だ。そういうのは、「突然出現すれば相手が何でも怖いに決まっている」だけで、心理的な恐怖は微塵もない。また、13日の金曜日のジェイソン系のただひたすら人が殺されるというようなホラー、そういうものにもまったく興味はない。
SFなホラーに最初に面白いと思った映画は、例えばエイリアンシリーズや、プレデターであった。もちろん怪物が出てきて、人が襲われるのだが、その敵にはそれまで見たことのないイメージがあり、キャラクターがある。また、「人間が宇宙に進出して未知の生物に出会った」という設定であったり、「人間をハントする異星人」という設定であったり、SFな要素がちゃんとある。ただ、強くて敵わなくて恐ろしいだけではない。


なんでこんなことを思ったかというと、「サイレントヒル」という映画が今、公開され話題になっている。CMで見る限り非常に怖そうなので、見たいけど見たくない。
このサイレントヒルという映画、同名の和製ゲームが原作となっていて、とても人気なゲームなのだ。現在、サイレントヒル4まで発売されている。
 SILENT HILL 3
1を初めてプレイしたとき、ストーリーの良さもさることながら、その恐ろしさに驚愕した。こんな怖いゲーム、今だかつてやったことがなかった。実は、買ったきっかけは、その当時人気を博していたバイオハザードが面白かったので、モンスターを銃で撃つという同じような内容のアクションゲームをやりたくて、それに似た感じだったからだった。ところが、この、サイレントヒルは「恐怖」という意味では、バイオハザードとはレベルが桁違いに違うものだった。とにかく人間が「恐ろしい」と感じる要素をぎっしり詰め込んだものだった。正直、すげえと思った。バイオハザードはどちらかというと、敵に襲われる、ダメージを受ける、そういうことに対して「怖い」と思うのだが、サイレントヒルは、「よく見えないけど、何かいる」だとか「よく聞こえないけど、物音がする」だとか「わけもわからず変なところに連れて来られた」だとか「なんとも言えない奇妙なものが目の前にいる」だとかいう、人間が潜在的に「怖い」と思うことに卓越している。
視覚に関して言えば、映画でもみごとに表現されてそうだが、まず「霧」。そして「闇」。はっきり言って周りがずっとよく見えない。真っ白や真っ黒な中を懐中電灯でかすかに照らしながら進む。何も出てこなくても、これだけではっきり言って怖い。
聴覚に関して言えば、低音で一定のリズムを刻む音、風の音だったり、木の廊下を歩く時のギシギシ言う音だったり、普段はそういったものに恐怖を感じることはないのだが、このゲームではそれらが実に効果的に使われている。と同時にそれに加えて、警報や鐘のような音が、「何か来る」という不安を掻き立てる。
実はこのゲームでは、何かが突然ばっと出てきて驚かすというシチュエーションはほとんどない。これは製作者があえて、そういうものは排除したとどこかで語っていたのを見たことがある。主人公は壊れたラジオ(何も放送が聞こえない)を常に持っているのだが、敵が現れるときには必ず、このラジオが大きな雑音を発する。ゆえに、いきなり敵に襲われたり、びっくりさせられたりすることはまずない。ところが、逆に、「周りにいる」ということがラジオで知らされるが故に、この上なく怖ろしいのだ。視覚的な「見にくさ」と融合して、「近くにいるのによくわからない」。実に見事だ。ちなみに、このラジオ、音が聞こえなくなる場所があり、「音が必ず敵を知らせる」という安心感を破壊してくれるシーンもあった。実に見事だ。


ドキドキではなくゾクゾクの恐怖感というのは、実は日本人が得意な分野でもある。ジャパニーズホラーと言われ、リングなどの和製ホラー映画を初めとして、お化けもの、呪いものなど、ゾクっとする精神的な恐怖を売りにしたホラーは、西洋にはあまりない、独特の恐怖感だ。ところがそういった中で、サイレントヒルはまたちょっと違った、西洋風な和製ホラーなのである。そういったところが、映画の中で再現されているか気になるが、あまりにも怖そうなので、映画館に観に行く気がしない…。
ちなみに、大学の2回生あたりで、夜な夜なサイレントヒルのゲームをやってたのだが、その頃、毎日とても疲れていた。なんでこんなに毎日しんどいのだろうと思ったら、そのゲームのせいだった。おそらく、精神が相当に消耗されていたに違いない。