(15) 「年齢」と「雇用メリット」について その3

(15-3)博士が「売れない」のは、「買わない」企業が悪いのか、それとも「売り方が悪い」大学が悪いのか。

以下のようなやり取りはよく目にすることができる。勝手に引用して申し訳ありません。

大事なのは、学生が商品とするならば大学が売り手で、企業が顧客、買い手ということです。売れないのは買い手が悪い、というのはビジネスでは最悪の言い訳で、売れないのは売り手の責任です。顧客はニーズを教えてはくれません。そのニーズをいち早く把握した企業が勝つのです。相手が何を求めているか分からない、と言っているような人を企業は求めていません。

ポスドク」を「大卒女子」に置き換えたら、あちこちから大いに批判されるのではないでしょうか。個々の人を見ずに「女」という一面だけを見て、「こちらが欲しくないんだから採用しないんだ。採るか採らないかはこちらの勝手なんだ。買い手はこっちなんだから批判するな」と公言できますか?
 つまり、誰を採用するかを決めるのは、企業の勝手ではありません。公正なルールに則って採否を決めなくてはなりません。

上段は企業側の意見の方で、下段は博士・ポスドク擁護派の方だろう。このような、「必要じゃないんだから採らないのは当たり前で、余るのは当然」という主旨の方と、「少しでも現状を改善するために、制度などによって採用を推進すべきだ」という主旨の方の議論は、色々なところで見ることができる。


まず、「大卒女子に置き換えたら批判される」というのはもっともに思えるが、しかし、大卒女子の場合は大卒男子と比べるという前提があるわけである。同じ大卒なのに男か女かという性別だけで差別されるというのは、当然批判されうる内容を含んでいる。
ところが、博士・ポスドクの場合はどうしても、同い年の企業組や、若い学部・修士新卒者と比較されるわけで、男女の性別の違いというような能力とは直接関係しないもので差別される大卒女子とは大きく違う。
また、男女の性別は個人が「選べる」ものでは決してないが、博士・ポスドクのキャリアは「選択した結果」なのである。ここも大きく違う。いかに不遇であれ、たとえ情報不十分であれ、「でも、自分で選んだ道なんでしょ?自己責任やん。」という反論を結局は覆すことはできない。


そして、結局のところ、僕の考えは上段側になる。
博士の待遇改善のために様々なところ(現場やブログといったボトムから、大学や研究機関、文部科学省といったトップまで)で議論はされている。ところが状況改善に対しては非常に否定的に思う。例えば自分が非常に悩んでいた時にググって参考にした情報群は2000年あたりのものが多かった。オーバーポスドク問題は今出現したことではなく、ずっと批判されてきたことなのだ。事態はどれほど好転しただろうか?

もしかしたら、10年後には日本の博士も明るい展望になっているのかもしれないが、自分の将来や周りの人の将来レベルではおそらくたいして何も変わらんのだろうと思う。上位の人が行政などに働きかけて、博士の処遇を改善していくよう訴えていくことは未来を少しずつ変えていくためにもちろん重要なことだが、今、実際問題に直面している博士やポスドクの人は、上からの改善を待っていては泥沼に陥るだけじゃないだろうか。数年で改善されるような妙案があればすでにやられているだろうし、「企業側の意識を変える」だとか、「専門技能を発揮できる職業を新設する」だとか、「博士に特権を与える」だとか、そういうことはすぐにできることではない(そのこと自体に賛否両論あるし)。相手が望んでいない場所に無理に押し込んで広げようとしたら、受け入れられない・歪みができるのは当然だ。また新しい領域を産出すれば、社会構造との折り合いが付くまで苦境が続くのは当然のことだ。また、院の定員を減らすといった、とりあえず効果が出そうな政策でさえ、諸々の思惑が絡んで達成されない。訴え続けることによって、少しずつ改善することはあっても、自分たちの将来に影響するような近未来では無理なのではないかと思うからだ。
院定員を減らすと文部科学省から運営費交付金を減らされるから、大学院進学を学生に勧めながら、ザル入試にして不用意に院生を受け入れる。大学発ベンチャーを成功させるために、ポスドクベンチャーとの接点を増やし雇用のチャンスを伺う。社会の要望が少ないのに科学技術コミュニケーターを謳って大学院を新設する。政府や大学などによる、様々な政策が実行されたとしても、その裏には彼らの利益になるための思惑が隠されているかもしれないと常に注意しなければいけない。それに依存して踊らされず、自分自身の目で吟味して推考して進路を決めなければいけない。


結論として、当の本人たちが自ら意識を変えて動き、そして自ら情報を探して得て、自分で活路を見出すしかないのだろう。「なんで売れないのだろう」と悩んでも仕方がないから、「どうにかして売ってやろう」と考えるしかないのだ。座していてはいけない。