(15) 「年齢」と「雇用メリット」について その5

今回のその5で、ひとまず5つのエントリーは終了。この、その5が一番書きたかったのです。
ブログ中で記載していることの全ては僕自身の経験による僕の考えです。よって、一般的なものでは当然ありませんし、誤りも含まれているでしょう。そこに注意してください。


(15-5)「高年齢のデメリット」を小さくするために
最後に、博士課程の学生が最も軽く考えてしまうのではないかと思われる「高年齢」について詳しく書くことにしようと思う。はっきり言って、僕自身も「高年齢」については軽視していた。「別に毎日遊んでたわけじゃない」という思い、というよりも、朝から晩まで必死に実験していたという、何と言うか、誇りみたいなものがあったからだ。ところが、そういう経歴がプラスに働かない現状では、そこのところに誇りを感じるのは就活の妨げになるように感じた。自分の経験を踏まえると、高年齢の問題は真っすぐ捉えねばならない問題に思えた。
僕は楽しい就職活動からはかなり遠い、苦しい就職活動であった。実は、割と早い段階から「企業就職しよう」とは思っていた。しかし学位が取れそうになかった。そこで深く悩んだ。そこで、高年齢問題を捉えた後、学位に関してどう考えたらいいか、という話の流れで述べようと思う。


「高年齢のデメリット」は小さい方がよい
9月15日の日記の式で示したように、「高年齢のデメリット」はできる限り小さくしなければならない。もしも、博士学位が必要不可欠な職業があるなら、或いは博士学位に高い価値があるなら、高年齢でも雇用メリットはあるだろう。例えば「医者」なら、両者とも存在するので、高年齢でも医学部受験して医者になる人はちらほらいるし、研究を断念して医者に戻る医学系研究者もいる。ところが、博士学位には現状では両者とも存在しない。

研究が心底滞ってきたときに考える選択肢として、「学位取得を目指して留年を続ける」という選択肢と、「研究室を移る」という選択肢が例えばある。経済的な理由を抜きにしても、両者は「高年齢のデメリット」が拡大し続けるということを強く認識しなければいけないだろう。また、日本には、「とにかく新卒にこだわる」という風習が根強くあり(特に国内の大手企業)、年齢が1年1年同等には扱われない(修士1年と博士2年の秋冬が重要なポイント)(外資系や新しい業界では、この縛りにそれほどこだわらない印象を受けた)。つまり、就職活動には新卒採用という区切りが存在する。「新卒」であることは、強力無二な資格であるとよく表現されている。
新卒と既卒・中退には大きな壁があるとはいえ、それでも若ければ若い方がいいというのも重要な事実だ。さらに、学位は就職に必要不可欠なものではない。学位取得は就職の条件ではない企業も多く、学位がなくても仕事に支障が出ない企業も多い。ゆえに、もう1つ、「博士中退」と「博士課程単位取得満期退学」という選択肢がある。「高年齢のデメリット」を小さくするための1つの方法であると僕は思う(別に勧めてはいない)。ちなみに、「博士課程単位取得満期退学」は、僕の経験から言うと、新卒扱いになる場合が多かった。ただ、企業によって温度差があるかもしれない。
注意してほしいのは、「研究が滞ったらやめろ」と言っているのでは決してない。博士課程に進学したのだから、博士の学位を取って3年で(医学系なら4年)卒業するのが一番ストレートな道だ。また、研究が滞ることなんて日常茶飯事だし、そこであきらめず解決策を模索するのが研究というものだ。ただ、博士に進んだからと言って、何が何でも3年行かなくてはならないものではないし、学位は「取らなければ生きていけない」というものではない。アカデミアを目指している場合が多いから、学位は「足の裏の米粒」と言われようとも、「何が何でも取らなければいけないもの」のように目に映るけれども。とにかく、「博士課程に進んだが最後」という枠組み、「毒を食らわば皿まで」というようなイメージだけは取っ払ってほしい。足の裏の米粒は、取らないと気持ち悪いし取っても食えないが、取らなくても生きていける。
少々荒っぽい考え方になるかもしれないが、同様に、修士1年の冬・春を過ぎて修士2年になった人は、通常、博士課程に進もうとしている人であると思われるが、修士1年の冬・春を過ぎたからといって、「もう博士課程に進まなければならない」と確定してしまうことはないと僕は思う。最近は、夏・秋採用や通年採用も活発化してきている。「就活はもう終わってしまったから覚悟を決めよう」と思う必要はない。


学位、及び博士課程中退と単位取得満期退学の伝え方について
実際に、中退や博士課程単位取得満期態学について、どのように相手に伝えたらいいか、相手の反応はどうだったのか、について以下に記載しようと思う。

まず、前提として、履歴書などに上記のようなネガティブな表現を書く必要はない。というか、書いてはいけない。修士卒か博士課程進学とだけ表記すればいい。フリーターの人が、履歴書に経歴:フリーターと書くだろうか。新卒にこだわる日本社会は、変な経歴を持っている人をとにかく嫌がる。面接の場で面接官の前で、言及し説明すればいいのであって、履歴書に書く必要はない。書くと、「なぜ学位が取れないのか」について言及する機会まで行けない場合が多い。書類などのデータ上やぱらぱら見た時点ではじかれてしまうからだ。実際、僕は履歴書に自分の経歴を白状していたが、あれは愚かだった。馬鹿正直ではダメだ。書いても上れる所も確かにあったけれども。

僕の場合は、まず電話で選考自体を受けられるかどうか聞いた。「募集人材に博士と表記されていませんが、選考を受けることはできますか?」「博士学位取得ができないのですが、選考を受けられますか?」と。電話をかけた企業で、頭から、「あーじゃあ無理ですね」と言われたケースはただの一度もなかった。そこは安心しよう。

補足として、博士で就職してくる人は学位があると思っているのが普通なので、取得できないのであれば、どこかで必ず言及することが必要であると思う。そうでないと、内定が出た場合に学位取得が就職の条件となってしまっている場合、トラブルとなるかもしれない。言及するなら、自分の口から説明できる面接の場が最も適していると僕は思う。


学位が必須だという企業は当然あった。しかし、学位取得不可予定に対してそれほど責められなかった企業や必ずしも取れるものではないという理解がある企業も沢山あった。
前者の学位必須企業に関して、まず学位がなかったらやって行けないかどうか、というようなことを自分で考える(この時点でやっていけそうにないと結論付けたら諦めるしかないが)。次に、履歴書には学位が取得できないことを言及しないので、通常通りのルートを上る。面接で取得できないことを初めて述べ、取得できない理由を明確に述べて説得する。とにかくはここまでは来れる。それで、相手が悪い反応をし落とされたら、それはもう仕方がないというものだ。
後者の必須ではない企業に関して、前者と同じように面接に至って初めて言及し、説明し説得する。相手の反応は大体は「どうして取れないんですか?」ということになった。この「取れない理由」に関して、かなり説明を強いられた。ただしこれは、「どのようなところに問題があると自分自身が判断し考えているのか」を見られている気がした。「取得できないことをどう分析しているのか」を聞いているだけで、取得できないことを責められているわけではなかった。だから、ポジティブに話せば、理解してもらえる企業は沢山あった。「学位取得は研究室の状況にも依存するし、個人の問題だけじゃないからね。必ず3年間で取れるようなもんじゃないしね。」と理解してもらえるところも沢山あった。
また「なぜ途中でやめようと思うのか?」に関して執拗に聞かれた。が、これも同様にやめることを責められているわけではないように思えた。ちゃんと真剣に進路を考えてここに来ているのかということが聞きたいように感じられた。学位が取れても「なぜアカデミアを続けないのか?」に関しては必ず聞かれた。「なぜ道を変えるのか?」は、どちらの場合でも同じように聞かれるのだ。だから、「道を変える」明確な理由さえ用意し、論理的に説得できれば、「学位が取れない」ことは致命的なデメリットにはなり得ないと僕は思う。
学位がなくてもまあいいというのは、残念ながら、博士課程や学位そのものにあまり期待していないという一種の表れではあるが、同時に裏返しで雇用への理解を示してくれているのだ。だから、そういった企業を受けるのには学位は必須ではない。
学位が必須な企業に行きたいから、留年を続けても年齢を重ねても、それを目指すというのも1つの生き方の選択肢かもしれないが…。また、「アメリカでは学位がないと一人前の研究者として扱ってくれない」など、今後学位所有者が有利になる場合があるかもしれないとは思う。


結論として、世の中には色々な企業が存在する。学位が必要なところもあるし、そうでない企業もあった。別に学位取得に否定的なのではない。学位なんぞ取っても無駄だと言っているわけでは決してない。しかし、学位取得は人生の目的ではない。もちろん、学位を取得して博士課程を卒業するのが、普通の道であるけれども、それは唯一の道ではないと僕は思う。