(17) 自分の進路を吟味するということ

初めに
色々とエントリーを書いてきましたが、僕はアカデミアを否定して、企業就職を強く勧めているのではありません。同時にアカデミアを勧めているわけでもありません。アカデミアに進んで幸せになる人もいれば、企業就職して幸せになる人もいるだろうと思います。
ただ、アカデミアの方は、全体的な需要と供給のバランスが破綻しているから、進路や人生設計に悩んだり、狭き門を望んで敗者になったりする人が沢山出るだろうと思い、また年を経るごとに進路変更が困難になるにも関わらず、セーフティーネットもないしで、問題が多いと僕は感じます。ゆえに、現在の状況に強く危惧はしています。
しかし、同時に就職したからと言って、もちろんオールオーケーというわけでは決してないと思います。安易に就職活動を行っても、研究と就活とどっちつかずになる可能性もあります。


僕の書く文章が企業就職を勧める側に傾いているように見えるのは、そちら側の矢印が弱いと感じるから、そちら側を少し強調して書いていることが理由です。本来、アカデミアと他の進路は天秤にかけられ吟味されるべきものだと思います。現状はアカデミア側に非常に傾いているので(実際、僕の場合も企業就職は頭の片隅にしかありませんでした)、ちょうど2つが平行になるぐらいにまで戻したいと思っています。だから、アカデミアを否定して、企業就職を強く勧めているのではありません。安易な就職は不幸を招くかもしれません。
また、僕の周りの雰囲気から抱く考えなので、他の分野や他の研究室では異なった状況かもしれません。理学、工学、医学、薬学、農学といった、専攻の違いによっても大きく雰囲気は変わるでしょう。


今、もうすぐ10月に入り、就職活動が始まろうとしています。バイオ系なら、製薬のいくつかの企業は採用を始めています。
M1やD2なら、もし就職活動をするなら今からです。
一度、じっくり自分の中で進路を考えてみることを強く勧めます。


自分の進路を吟味する機会を持っているだろうか?
問題は、自分の進路を本当に心の底から考える機会を持っているのかというところだと思う。
はっきり言って僕は持っていなかった。持っているつもりだったけれども。就活をして初めてそれがわかった。アカデミアに進む以外に、例えばバイオ系で世の中にはどんな職業があり、どんな企業があり、どんな営みがあるのか、それすら知らないのではないだろうか。博士で企業に就職している人たちと実際話したことはあるだろうか。これで進路の選択肢を本当に天秤にかけて吟味したと言えるのだろうか。
漠然とした観念に基づいて進んでいたような気がした。そもそも真剣に考える「暇」がなかった。目の前の実験に追われていたから。しかし、目の前の研究と自分の人生と、どちらを真剣に考えるべきかという問題に対して、目の前の研究だと答える人はただの一人もいないだろう。目の前の研究を完成させることがあなたの人生の「当初の」目的ではなかったはずだ。自分の選択した結果がどうであれ、自分の進路を深く考察して選択する機会を本当に持ちえているのかということが甚だ疑問に感じる。
「研究することが好きだから、好きなことを仕事にしてやっていきたい」。全然良いと思う。しかし、これは、選択肢を色々吟味した後の結論として、「様々な職業があるけれどもアカデミアの研究に進む道を選択する」という意味で、このことを言っているのだろうか。単に自分の進んだ道を正当化しているだけではないだろうか。アカデミア以外では自分の好きなことはできないと思っているとしたら、その根拠はどこにあるのだろうか。もし、吟味した結果の結論であるというならば、何も問題はない。自分の信じる道を進めばいいと思う。


できるだけ早い段階で、進路における様々な選択肢の情報を得て、それを吟味して自分の進路を決定してほしいと僕は強く思う。



自分の進路を考える「その時」
研究が滞った時に、自分の今後を考える機会が多いと思う。というよりも、研究がうまいこと進んでいるように思える時にはそういう気分にならないだろう。しかしこれはとても危険なことだと僕は思う。


研究がうまくいっている人に伝えたいことは、機会を軽く通り抜けて行かないでほしいということだ。特に、学部や修士の若いときに研究がうまく進んだとしても、それはテーマ設定の良さや形になりやすい実験であったり、教官や指導者の教育の良さであったり、研究状況のタイミングの問題であったり、そういう諸々の因子が関係している。だから、それは自分自身のみの力ではない。異なったテーマを与えられていれば、全然異なった状況になることも十分に考えられる。だから、自分の今後を考える機会をきちんと持つべきだ。重要な節目を軽々と通り抜けてはいけない、たとえ周りがどう言おうと。「今はうまくいってるからいいや、もし研究が滞ったら自分の進路を再考しよう」という姿勢は甚だ危険だと言わざるを得ない。
現時点では、学生の多くは「アカデミアで成功すること」を希望して博士課程に入ってくる人が多いので、研究管理者・教官と、直接指導してくれる教官・先輩、そして学生の利害は一致する。研究管理者・教官は「アカデミアで成功し続ける」ことを目的としている。指導教官・先輩は「後輩が研究でいい成果をあげるように指導する」ことを目的としている。学生は「アカデミアで成功することを希望し、そのための業績獲得と学位取得」を目的としている。そのため、「研究に専念して、少しでもいい結果を出す」という点で3者の利害が完全に一致する。よって、余計なことは考えず研究に専念する方向にほとんどの場合向かう。ゆえに、視野を広げる・選択肢を吟味するという作業は、自らが積極的に行わないと成し得ない。周りの状況を把握し、吟味し、選択するという作業は、自分の内側から(あるいは外部の人間から)しか生まれにくい。このことに常に注意しなければならない。
実際問題として、うまい具合に進んでいるときに、進路を吟味することは本当に難しい。自分自身もそうだった。最近は、しかし、幸いにも(?)、ポスドク問題が着実に露呈し、博士課程の人の耳にも十分届くようになってきている。ゆえに「他の世界はどうなのかな」と思う機会は少しはあるはずだ。その機会を大事にしてほしい。


研究が心底滞った人に伝えたいことは、目の前の研究の完成だけがあなたの人生の目的ではないということだ。
そしてその時にもし、悩んで出した結論の中に、就職活動してみようという思いが存在するならば、以下のような問いかけを考えて、自問自答してほしいと思う。僕は就職活動を始める前に、自分の内側から様々な問いかけが生じてきた。それに一つ一つ答えていくと、頭の中の霧が晴れ、思考が整理され、脱皮することができた。これは同時に志望動機や、自己分析といったものにつながっていく。僕はこれがとても重要なスタートに思える(このプロセスは非常に重要で、「一体なぜ就職活動をするのか?」という、この答えがしっかり出ないと、志望動機、自己PR、全てが崩れてしまう)。


例えば、このような問いかけだ。
そもそも大学の学部に入学したときに本当に「何がなんでもアカデミアに行くんだ」と決意して入ったのだろうか。4回生のときに研究室に配属されたときに「ここで博士課程まで進んで、その後ポスドクになって留学して、助手になって…」ということをそれほど決意して入ったのだろうか。夢見ていただけではないのだろうか。
研究を完成させることが、研究を一段階「美しい」ものに昇華させることが、とにかく「素晴らしい」「優れている」という周囲の意識に影響されてはいないだろうか。成果が出ないと、自分自身の人格まで否定されるような周りのプレッシャーを受け、「なんて自分はダメなんだろう」と卑下し、同時に「いい結果を出して周りの人を見返してやるんだ」という思考回路に陥っていないだろうか。ドツボに嵌ってても、時間をかければ研究はいい方向に進んでいくはずで、それがおのれの進むべき方向だと決め付けてはいないだろうか。毎日朝から晩まで忙しく働いて、目の前の研究にだけ自分の時間を割き、根詰めて働き尽くすことが、「科学に身を捧げる」ことが美しい、そういう雰囲気に浸されていないだろうか。研究室に入ってからの雰囲気に影響され、本来の理念は歪んでいないだろうか。
高貴な世界に挑み、桜のように散るのも本望、というのは本当に本心だろうか。研究さえできれば、どんなに貧乏でも満足。本当にそうだろうか。アカデミアは崇高だというのは本当にあなたの本来の意見だろうか。あなたの毎日の実験生活は本当に崇高だろうか。例えばAmazonやYahoo、Googleのように、実生活を根本から変えていくような企業を見て、本当に「くだらない」と思うのだろうか。
今やっている研究が面白いと思っているとしても、それはやってみたら面白かったのではないだろうか。世の中で面白いこととはたったそれ1つだけなのだろうか。他の仕事もやってみれば面白いはずだとは思えないだろうか。


決して間違えないでほしいのは、僕は研究をやめろと言っているのではないということだ。あきらめず解決策を模索し一つ一つ問題を解決していくのが本来の研究というものだと思う。ただ、ひたすら目の前の問題を解決することが全てではないと言いたいのだ。もう一度広い視野で考え直そうと言いたいのだ。考えた結果、研究を続けようと思うならそうすればいいと思う。
これはもしかしたら、就職活動に限った話ではないかもしれない。研究を進める上でも大事なことかもしれない。


とにかく、最も重要なことは、「愚直は美徳ではない」ということである。