(18) キャリアパス支援に対する懸念

9月29日の日記の、トリムさんからのコメントで、
『自分の進路を吟味する機会というのは、今は自分自身で発見していかないといけないと思うのですが、できるのであれば、大学の仕組みの中にそういった機会が盛り込まれるべきだろうとこのごろ考えております。』
という意見をいただいた。


どうしたらキャリアパスに対するイメージを具体的に持つことができるだろうか。
博士の生き方で最近トリムさんが述べられているいくつかの記事を読み、多くの共感を覚えた。例えば以下の2点について。
『予防的な取り組みとして実効性に疑問をもつものも多くありました。』
『さまざまな道があると示すことや、インターンシップに放り込むことは、そういった道がありえないと考えている人にとっては果たして意味があるのだろうか。』


一度アカデミアに進むと決断した人達に対しては、様々な取り組みがなされても、会を開いているだけで、本来それを受講すべき人たち(例えば進路選択に差し掛かっている修士の学生)が全然集まらない、という事態が起こるような気がする。
トリムさんも述べられていたが、周りの環境というのは影響力が大きいと思う。過去のブログでも述べていることだが、研究室においては、あらゆる人間が「研究に専念して、少しでもいい結果を出す」方向に向いている。ゆえに「学生は研究に集中すべきで、それ以外は余計なことだ」と考える傾向が強い。
「自分の研究を推し進め、うまくいかなければ生き残れない、それに集中すべきで、それ以外は余計なことである」という、根底にある考えが崩されない限り、他のことは、「研究が落ち着いてから取り組むべきこと」、つまり後回しになってしまう可能性が高い。しかし、アカデミアで生き残ろうと思えば、「少しでもいい研究を」という路線はまったくの正解なので、少しでもアカデミアを目指す人(ほぼ全員だろうが…)に対して、これを崩すことは困難極まる。さらに、研究が順調に行かない人ほど、この「目の前の研究に集中を」という傾向が強くなるので始末が悪い。例えば、英会話授業などもそうである。研究を職業にしたいなら、英語力が必須なのは誰の目にも明らかであって、英会話授業が格安の料金で受講できるなら、こんな素晴らしいことはないのだが、しかし、「まず自分の研究を頑張って、ゆとりができてから」とやっぱり思ってしまうのだ。何を隠そう、自分自身はそう思ってしまった。

先日、うちの大学院で行おうとしている新授業でも、メールのやり取りの中で、「応募数が定員数に対してだいぶゆとりがあります。教授陣におかれましては、学生に積極的に参加するように指導をお願いします。」ということが書かれていた。アカデミアを目指して目の前の研究に集中している学生に対して、キャリアディベロップメント講習はどれほど効果を成すだろうか。
ただ、キャリアに関する授業に否定的であるわけでは決してない。むしろ大賛成だ。学生がどう受け取るかは別として、現状では知識としてだけでも、「少なくともこういうことが今問題でこういう解決策がある」ということを学生に知らせることはとても重要なことだと僕は思う。


他にも懸念は沢山ある。
果たして大学・研究所関係者の方は企業の情報を豊富に持っているのだろうか。本当に探して集めようとしているのだろうか。あくまで雰囲気だが、企業就職となると、大学・研究所関係者は実質的に人材紹介企業や人材派遣企業に丸投げしている印象を強く受ける。
ジョブフェアの開催は結構だが、すぐに「ベンチャー企業」という言葉が出てくるのはなぜなのだろうか。
大学・研究所の就職サポートにおいて、大学運営・研究所運営に相反することは組織に属するという性質上決してできないと思うので、彼らは真に学生やポスドクの立場に立って考えれるだろうか。例えば、職探しに力を注げば、当然研究が怠るわけだが、そのとき教官が文句を言って来たら、強く反抗してくれるだろうか。
大学・研究所の就職サポートは、組織(文部科学省・大学・研究機関)の利益になる、職の斡旋に傾かないだろうか。大学発ベンチャーなどの言葉がすぐに出てくるのはなぜなのだろうか。


博士の生き方でトリムさんが述べておられる通り、博士に進んで企業就職しようという人達の多くは、『まともな研究開発のできる大企業か中規模の企業で、給料は修士卒同年齢よりも高めかせめて同程度、職種としては研究開発職、仕事内容としては、興味の持てる仕事か専門性の生かせる仕事、そして雇用条件としては終身雇用』を望んでいると考えられる。
しかし、多様なキャリアパスを謳っているとはいえ、提示される就職先は、サイエンスコミュニケーターや人材派遣、ベンチャーなど。「騙された」と思う学生が多くても不思議ではないだろう。

もしも、「アカデミアに挑んだ者の中で、去る者は希望よりかなり低い就職先しかなく、しかもその問題は個人の自己責任だ」というのなら、果たして、誰が博士課程に進むだろうか。
僕自身は、キャリアサポート事業の実質的な成果に関しては、かなり否定的な立場である。「アカデミアに進んだ人たちのキャリアパスが深刻だ」という事実を、若い世代にまで浸透させるという、精神的な面だけが成果になるのではないかと思えるほどである。



昨日、『就職難の博士たちへ、国立8大学が企業との交流サイト』の記事について書いたが、記事を読んですぐに思ったことは、「工学部では有効かもしれないな。」ということであった。大学の独立行政法人化と関連して、例えば東大などでは、大学研究室内での研究成果と企業とに直接接点を設け、商品開発に活かしていくということに積極的である。それは人材の活用も含まれ、研究成果や人的資源を世の中にどんどん産出していきたいという思いを強く感じる。そういった商品化が近い技術なら、企業の関係者との、こうした交流の場というのは重要だろう。

しかし、基礎科学はこの限りではない。基礎科学の学問的な成果を公表したところで、果たして企業の人はいちいち見てくれるだろうか。学会でポスターを勝手に貼って、「誰でも見てください」というような状態で、果たして基礎科学の人間が、誰かの目に留まるようなことがあるのだろうか。
そもそも、僕らが入りたいと思っている大企業というのは、募集定員の100倍、1000倍といった人間が集まるのである。博士に優位さがない今の現状では、新卒修士達と争うことになるのである。なのに、受動的な態度で、いい結果が来るだろうか。