最後のご褒美

もうすぐ2006年も終わりです。ミレニアムからもう6年も経ったのか、早いもんです。
昨日は大学時代のサークルの人たちと忘年会がありました。12時ぐらいまで飲んで、その後は徹マン(徹夜マージャン)へ。何度かこっくりこっくりしながら、朝まで打ちました。
印象に残っているのは、もうすぐ結婚するよという人が多かったこと。やっぱりそういう時期なのかもしれません。うちのサークルも人数が増えて、忘年会でも60人、70人という数です。研究室に入ってから、サークルの方へはとんと行けなくなったので、ちょっと離れた後輩は全然わかりません。知らない顔があちらこちら。


おかげで、サーカディアンリズムが崩れて、朝から昼まで寝たんですが、この体は満足できないようで、ちょっと横になると2時間ほど寝てしまいます。さっきも、晩御飯食べて、ちょっとお酒飲んで、紅白始まったなと思って、ちょっと眠くなって横になったら、もうこんな時間!


今年も残りあと30分ほどです。最後にちょこっと日記でも書いて今年を終わろうかな。
2006年は本当に色々あった年でした。いやしかし、2005年も2004年もハードでした。博士の3年間はきつかったし、辛かったし、忙しかった。濃い3年間でした。
しかし、最後の1年は最終的には実りの多い1年となりました。最初は就職活動で苦しんで、内定をもらって、人生で初めて、「うちで一緒に働こうよ」と言われました。また、人生初めての論文も書きましたし、「俺はこんなこと見つけたんだ」って世界に発信できました。それによって博士の学位も取れそうです。

博士の学位は、年始にはほぼ完全に諦めてました。ハードだった分、最後にご褒美として神様がくれたのかなと思います。論文発表の際のごたごたをクリアーできたことも神のご加護な気がします。無神論者ですが…。


もう1つ、最後のご褒美があって、
最後の最後で、研究の楽しさを味わえたことは特筆すべきものでした。少し研究が進むと何が起きているのかが少しずつわかっていきます。それと同時に可能性が減少し、方向性が定まり、問題が解決します。
しかし、同時に新たな問題が発生し、いや問題というよりは発展、新たな視点、「こういう風に実験を設計すれば、こんなことも検証できるじゃないか」と、そういうことも次々沸いてきます。研究の進展の意外性を味わったこと、これも研究の醍醐味かもしれません。神様ありがとう。
正直、それを検証できないことが心残りではあります。学位論文でも、今後の可能性を書きながら、「たぶん、これ、やってみたら面白いだろうなぁ」と思いました。やってみたいと思いました。
僕は、元来、選択肢を消去して方向性を固定することが嫌いな性格なので、それも影響したのかもしれませんが、実は、そのまま研究を進行させて、ポスドクになってそれを研究するのもありなのかもしれないなともほんの少しだけ思いました。今は思ってません。


発表論文として行った研究は「学位を取るため」という明確な理由付けがありました。当初、ぶっちゃけ遣っ付け仕事でした。それまでやってた研究テーマとも大きく異なるものでしたから、興味は少なかったし、知識も少なかったです。しかし結果的に見れば、「やってみりゃ何だって面白い」ということでした。この研究分野にも、世界には大御所が何人かいます。大勢の研究者が過去に扱った研究テーマであるにも関わらず、やはりわかってないことは山ほどあり、誰にもそれは解けていないのです。彼らがこれに「はまって」研究をしているのは、そこに面白さがあるからに他ならないと思います。


研究自体はやっぱり好きなんだなと再認識した年でもありました。4月からはサラリーマンとして会社で働きますが、職種として研究開発系で働けそうなこと(まだ決定してません)は、自分にとっては今は良かったと思ってます。今の自分には合ってると思ってます。また、「企業では面白い研究はできない」と言う人がアカデミアには多いですが、僕は総じて企業での仕事がどこもかしこも面白くないとは到底思えません。みながみな、興味を失いながら嫌々やっているとは到底思えません。企業の研究者や開発者、いや研究開発以外でもいいですが、その仕事に「はまって」それなりに楽しんでいるなら、そこに面白さがあるはずです。「やってみりゃ何だって面白い」という思いは大事に持って行きたいと思ってます。