研究室の忘年会、会社の同期と忘年会

明けましておめでとうございます。ちょっと遅いですね。


新年早々、いきなり去年の話題ですが、12月末には研究室の忘年会、4月から働く会社の同期と忘年会がありました。
毎日、学位論文を書く毎日でデスクワークばっかりで疲れ気味だったのでいい気分転換になりました。研究室の忘年会の方は、もうこれで忘年会に参加するのは最後になるなあと思いました。しかし、それほど寂しい感じはしませんでした。元来一所にどっぷり浸るのが嫌いな性格なので、常に半身は染めずに置くため、環境の変化に対してはどちらかというとワクワクしている感じです。
現在の心境の多くを占めるのは、『3年間博士課程に所属したけれども、仕事を進める上でどのような価値を見出せるのか』という所の不安です。また、単に職場の雰囲気とか勤務地、職種などに不安があります。また、「もうすぐサラリーマンだなぁ」と思う自分を客観視すると、人より3年、いや5年余計に大学にいたけれども(いやいたからこそなのか)、所詮やはり自分は社会人ではなく学生だなとつくづく思います。


研究室の忘年会では、指導教官の近くに座ったんですが、僕がいたからか「就職」などの話にもなりました。指導教官が「これから多くの人間(アカデミアの人間)は企業で生きて行くしかない。どう考えたって数が合わない。」とおっしゃってました。とても意外に思いました。それまではあまりそんなことを言うことを聞いたことがなかったので。色々と影響を与えたのかもしれませんね…。また、「○○君が働いて、どんな感じで仕事をするのか後輩に伝達してほしい。」というようなことも言われました。確かにそれは重要なことである気がします。極めて身近な(これが重要であると思いますが)人間が体験として語る企業の姿があれば、後輩の考えも一新するでしょう。自分がそれをするかどうかは仕事をしてみてから考えます。


会社の同期の人と話をした時には、なんだか大学の友人たちと話をしているような印象を受け、アカデミアの独特の空気から「戻ってきたなぁ」と思いました。やっぱりこっちが空気として肌に合ってるのかもしれません。ところで、長く大学にいたせいか、社会に対するよくわからない恐怖感もあります。これって何なんだろうな。「一般社会」と表現する俗世間と解離したような感覚。別に社会から離れるつもりはなかったんだけどな。ある友人が『アカデミア版引きこもり』と表現していましたが、実際そういうものは確かに感じます。いつの間にこうなってしまったんだろう。
ところで同期の友人達の中には博士課程の人も数人いるのですが、彼らと話しているととても魅力的に感じました。彼らの多くは「研究能力を買われて内定したのだろう」ということを感じていますが、「今後の人生、研究だけで生きていく気はあまりない」ということでした。その気持ちはよくわかります。また学部卒・修士卒の人も含めて、うちの会社は、海外志向が強い人が非常に多いという印象を受けました。これも「なかなかいい場を見つけたかな」と思いました。
また、ある人から「思考が理学部っぽくないね」と言われた時に、喜んでいる自分を見て実に滑稽でした。本来の思考を取り戻したような気もします。みながみなアカデミアに進む環境に身を置いているせいか、1年間結構ストレスを感じて過ごしてきましたが、それもいい経験になりました。研究室で話す時と、会社の人と話す時と、少し場を変えてみるだけで、こうも人間の観念は変わるのかと思うと非常に面白いです。できるだけ多文化な人と交流することをオススメします。