(21') 学生がその後どうなるのか 追記

ここのところ忙しくて、ちゃんと落ち着いた時間を取ることができませんでした。トラックバックいただいた方々、コメントいただいた方々ありがとうございました。正直なところ、こんなに反響が大きいとは思っていませんでした。ちょっと感情的に書いた部分もありましたので、少し反省すべき点もあると感じています。
ここ数日、様々なところで議論が展開されているのを見て、自分と同じような意見もそうでない意見も見ることができてとても刺激的でした。


いくつか一応書いておかなくてはならないかなと思う点と、ちょっと書きたい部分を少しだけ書きます。

まず、僕は出身研究室を非難しているわけではありません。僕の指導教官を含め、出身研究室は荒廃したものでは決してありませんので、非難するつもりはまったくありません。もちろん、色々と不満はありましたが、今となっては良い経験であったと思えます。
先日の内容は特にそうだったのですが、自分の思考をそのままストレートに表現しようと思ったために、少々感情的な内容だったかもしれません。また、みな、自分の周りに起こったことから一般論化して論ずる傾向はあるので、研究室によって状態は大きく変わると思いますので、異なった状況にいると異なった意見になる可能性が大きいと思いました。


以前の記述では少し伝わりにくかったかもしれませんが、本心では、実はそれほど研究指導者を責める気持ちはありません。もちろん酷い教官もいるようですから、そういう方は論外ですが、現在の過酷な競争下では至極全うな状態なのかもしれません。彼らも相当な競争状態に置かれているわけで、僕が同じ立場になったとしても、同じようになる可能性は大きいと思われます。自分の出世や保身が一番になるのは人誰でも当然だと思います。
言いたかったことは、このような異常競争下では、みなの精神が自己のみに向きやすく、また最も立場的に下位にいる学生が被害を大きく被るのではないかと危惧していること。また、学生の多様な卒業後選択に対して、研究指導者の心が向かうことはないのではないかという危惧などです。特に企業就職に関しては、共同研究などを行っている場合などを除いて、指導教官のメリットは何もないわけですから、大学院としての積極的なキャリアパス指導は可能なのかという危惧です。


自己責任の問題に関しては少々思うことがあるので追記しておきます。
基本的には人生設計は個人が行うべきだと思いますし、自分のキャリアを自らしっかり選択する機会を持つべきだということは過去に主張してきた通りです。卒業後進路を担当教官に何とかしてもらおうという腹では真にけしからんと思います。
一方で、僕は大学院での生活が個人の意思の力で大方何とかなるとは思っていません。研究にしても、研究は結局は複数の人間による総合作であり、個人の力量のみに起因するものではないと思います。また、特に研究室に入った当初から、自分で計画して何でもできるわけではなく、そこにはテーマ設計や研究指導など、多くの教育が含まれると思います。個人的に僕の場合では、自立的研究が行えるようになったのは、修士の中盤から後半以降であったと思います。よって、教育機関としての能力が、学生個人の成長に大きな影響を与えることは多分にあると思っています。


最終的には(思っていたことを、何人かの方が書いておられて素晴らしいと思ったのですが)、学生が研究室の状態を把握し、それを選択して、自分の選択に責任を持つことが必要だと思います。が、現在の状態でそれが可能であるとは思えません。学生の意識の面もそうですが、情報の公開と伝播も不十分であるように思えます。「学生は深くちゃんと調べていくべきであり、それをしないのは本人の怠惰だ」という意見もあるかもしれませんが、僕はそれには反対の意見を持っております。修士の夏や秋という年齢の時分、自分の選択がどのようなものであるか、過去の自分の行動を照らし合わせて見ても、後輩を見ても、十分に検討できているとは思えません。モラトリアムとしての進路でなかったとしても、深い意思の決断を行って来ているかというと疑問です。もしかしたら、大学院は学校なのだから死屍累々のようなことはあるまい、という甘い意識がどこかにあるのかもしれません。また、どなたかが記述されていましたが、もし、企業の就職活動のように、自分の将来を真に考える、そして表現する機会があれば、より良いのかもしれません。
とはいえ、いくら情報が公開されようが、結局はその情報からどう選択するのかという学生の自己責任の所に落ち着かざるを得ないと思います。研究室の教育を保障することなどできないし、卒業を保障することもできないためです。


以前の内容と繰り返しになってしまうかもしれませんが、研究室の進路を選択するにあたって、最も容易な方法は、過去の進学者がどうなったかということだと思います。例えば、研究室のHPに、過去の在籍者が記載されており、どこどこに留学中、どこどこに就職などと書かれていれば、とてもイメージを掴みやすいと思います。同時にそこには、ネガティブな結果も記載すべきだと考えています。つまり、進学した人がその後どうなったかを網羅的に記載する必要があるのではないかと思います。例えば、5人進学して、2人が卒業後アカデミアに進み、1人が卒業後企業就職し、1人が留年し、1人が途中で退学した、という情報です。この場合、3年間での卒業率は60%になります。それを学生がどう思うか、そして進学するかどうかは、それはもう自己責任です。アカデミアはそれぐらい厳しい世界だと思う人もいるでしょうし、危険だからやめておこうと思う人もいるでしょう。研究室は一応教育機関だと僕は思っていますので、せめてこのような情報は載せるべきではないでしょうか。


僕自身の経験では、学位授与式の卒業生の少なさに非常に驚きました。学位授与式に参加している学生は何も正規に3年で出た人ばかりではないはずですが、それでも定員の約5割程度。もちろん、留年後、3月以外の時期に学位授与される方も大勢おられますので、それも加味しなければいけませんが、それにしてもこの卒業率は自分が進学する時に思い描いていた率とは大きくかけ離れていると思いました。就職して、同期の博士の友人に聞いても、そこの研究科の卒業率は4割程度。一応教育機関として、少し低過ぎるのではないかとその話からは思いました。もちろん、僕の周りだけの話なので、他は知りません。また、1年や2年の留年はアカデミア進路ではそう大きな問題ではないと思いますので、それを深刻だと思うか思わないかは個人の自由です。


とにかく、思ったよりも難しい問題だなと思いました。今後も思考を継続していきたいと思います。