(24) 博士問題の意見交換会

先日、博士事情に関するディスカッションの場に参加する機会がありました。
まず初めに、インターネットというものは、普段はつながり得ない人間とつながる可能性がある、非常に興味深いツールだと思いました。個人的な感想として、このうすっぺら日記に書いたことは、そもそもは誰かに発信したいという意識もそれほど大きくはなく、名前通り、単なる日記として書いていました。どこかに残しておきたいと。しかし、同時に、どうせなら他人とつながる可能性がある方がいいかな、と適当に思っていたのですが、ブログに書き込んで下さる方々も大勢いますし、今回の会合のように、普段の人間関係では決してつながらなかった人とつながることができます。
もう一つ。自分の既存の考え方に捕らわれて、そこから脱することは非常に難しいですが、多様な人々と相対すると、人間の考え方がいかに多様であるかを実感することができます。ちょっと環境が変われば、大いに考え方というものは変わってしまうのです。今回の会合でお会いした方々に、もっと早く出会っていれば、自分の固定観念を打破することももっと容易だったかもしれません。人間関係がいかに重要かということがよくわかりました。
ところで、会合では、自分の経験や考えていることを含めての自己紹介を行ったのですが、苦々しい過去の体験を説明しようとして、少し感情的・感傷的になってしまい、とても後悔しております。感情論では何も前には進まないことを肝に銘じなければいけないと思いました。


さて、今回の会合を通して、いくつか感じたことがありました。
生物学は背景とする企業の数が少ないことが最も大きな原因ではないか
当たり前と言えば当たり前の話ですが、生物学は、ポスドク問題が最も過酷だと思われる分野の1つだと思いますが、深刻化する最も大きな原因は、吸収する企業の数が多分野の企業数と比べて圧倒的に少ないということではないかと思いました。
今回の会合で出席されていた工学系の先生方は、博士が企業に就職する事に関して、いろんなとこで言われているほどひどい状態ではないとおっしゃっていました。理論系であれば、もう少し状況は変わるのかもしれませんが、企業との共同研究などが盛んな応用科学の分野では、博士の就職は決して悪くはないということでした。生物学の問題は、21世紀の科学を担うごとくに謳われ、そこに人が大勢集まり(集められ)、さらに公的資金が投入されているのにも関らず、産業としての活性化が鈍いというところにあると思われます。よって、解決策は、少ない企業に入っていくか、アカデミックで競争を潜り抜けるか、まったく異なった道へと進むか、いずれかの選択肢になり、どの場合でも志望人数が多いということがあるので、過酷な競争となるわけです。これはもう分野の性質上、避けることができないと思いました。10年、20年経って、生物学が産業として大いに発展してこれば、この問題は一挙に解決するでしょう。そこまで待つしかないのではないでしょうか。道を極めるか、多彩な道を模索するかして、生きていくしかないのではないでしょうか。その代わり、新しい世界は多様な変化が得られますので、頑張れば大きな道へとつながる可能性は大きいと思います。一方、産業が充分に発展している、発展しつつある分野においては、博士を活用し吸収する力はまだ充分にあるのでしょう。
生物学において、学生がアカデミックを志望するのが多いのも、そこで競争が過酷になるのも、教官が企業に関心を持たないのも、企業の数が少ないために、関係が薄いからでしょう。工学部に生物科が普通に存在するような世の中になれば、大きく変わると思います。


基礎研究と応用研究の違い
研究室にいるときは、「大学でやっている研究が真の研究であって、企業でやっている研究は研究ではない」という意見はよく聞いたものでした。これは、おそらく、基礎研究と応用研究の違いを言いたい言い方であり、基礎原理を追求することが真の研究であると言いたいのだと思います。しかし、工学研究科の先生方にお話を聞くと、工学部では、「原理・現象はいいとして、結局社会の何の役に立つの?今までと何が変わるの?どこが良くなるの?」ということをよく議論されるそうです。応用研究が真の研究でないならば、工学部の研究は研究ではないということになってしまいますが、そうではないと思います。というか、要するに、単なる興味の違いであることがわかります。
医学系の研究結果を聞くと、理学系の僕などは、「病気が治るかもしれないのは、まあいいんだけど、そのメカニズムは何?」と思ってしまうわけです。しかし、医学系の研究では、「病気が治るかどうかが最も重要な部分であり、メカニズムは後追いでよい」という意見が大半であると思われます。要するに、興味の違い、重要視する観点の違いなのです。
環境が変われば、研究に対する意識も様変わりするので、非常に興味深いと思えます。研究室にいるときには、先にも言ったように、「企業に入ったら研究などできない」とする意見をよく聞きました。しかし、企業に入ったらどうでしょうか。うちの役員さんなどは、「大学の研究なんぞ、役に立つのか立たんのかわからんことばっかりやっておって、趣味と研究を明確にわけなければならん」とおっしゃっていました。この場合は、世の中に出る研究こそ、望むべき研究であると言いたいわけであって、アカデミアのときとまるで正反対のことを意味しているわけです。こういうことは、方向性の違いという言葉で片付けられるだけであって、企業では研究ができるとかできないとかを論ずることは大した意味がないと思います。
研究ということではなくて、より厳密に基礎研究しかしたくないというのであれば、そこが自分のキャリア選択の第一条件であるのであれば、アカデミックキャリアが相応しいでしょう。そこは譲れないというのであれば、競争が激しくとも、アカデミックキャリアを進む方が幸せだと思います。また、企業の研究の度合いは企業の規模にも強く依存します。


大学院教育を危惧している先生方
今回の会合でお会いした方々は、等しく、ポスドク問題や院生の質低下などを含めた現在の状況を危惧している方々ばかりでした。そうだからこそ会合に参加されたのでしょうが…。企業が取らないのが悪い、文部科学省の予想が甘かった、国が責任を取るべき、そういうことを議論するのではなく、じゃあどうすれば、学生の質は上がるのか、企業の採用は増えるのか、少しでもそこを考えようとされている方ばかりでした。僕自身は、自分の体験から、「大学は学生やポスドクの将来設計にたいしてポジティブに働いていない、学生やポスドク当人が動き出すしかない」と思っていましたが、そういう方ばかりではないと思いました。こういう方々が真に増えていけば、少しずつでも状況は改善していくのではないかと希望が見えました。その前に総倒れにならないことを祈るばかりです。
人材の育成を大学の売りにしてもよいという考え方があると思えました。研究室ですから、世界に通用する研究を発信するのも重要だと思いますが、大学院の育成をその研究科の売りにして、世の中に出していくという考え方が、教官側にあってもよいと思いました。独立行政法人化し、大学教育の公的資金が集中化される中で、学生教育重視を打ち出して他と差別化する研究科もよいと思いました。研究室同士の垣根を越えて、コミュニケーションの幅を広げ、グループとして研究する能力を育て上げるのも、結局は科学人材の貢献に大きくつながるのではないでしょうか。もしかしたら、研究自体も、そういった人材によって、結局は進展するものかもしれません。一人でもくもくと研究をして、面倒臭い他のことはしないというのでは、結局は、総合的な研究力は育くまれないのかもしれません。