(26) 博士課程において得られたものの中で最も大きいものは

先日のエントリーをいくつかのブログで取り上げていただき、ありがとうございます。
さて、今日はその続きを書きたいと思います。


研究・仕事における自己に対する責任感の獲得、精神の自立
今現在、博士課程進学を他人に奨められるかと言われれば、現状では残念ながら否だと答えるだろう。また、今自分が修士卒業か博士進学かの時点に舞い戻ったとして、再び自信を持って博士進学するかと言われれば、悩ましいと思うこの現状は実に悲しいものである。しかし、では、自分が博士課程に進んだことを強く後悔しているのかと言われれば、それはNOだと答えるだろう。
他の方がどう考えているかはわからないが、少なくとも私は、今となっては博士課程に進んだことをあまり強くは悔いていない。なぜならそれは、多くのことを得たという実感があるからである。


僕が博士課程を過ごしてきて最も良かったと思うことはおそらく自己の責任感の獲得であろうと思う。研究・仕事に対する精神的な自立と言い換えることもできるかもしれない。これは、もちろん、自分一人で何でもできると傲慢になることを意味しない。また、研究・仕事を自分が主導したいという欲求のことでもない。また、自己責任というと、悪い結果になったときに責任を負うというような意味に捉えがちだが、ネガティブな意味だけではなくて、ポジティブな意味も含まれている。別の表現をすると、主体性を発揮するということになるのかもしれない。


自分の対する意識の変化
4回生のとき、研究室に配属が決まって、とりあえず自分のテーマを与えられた。いちおう、自分で考えて行動せよと言われたが、最初から何でもできるわけはなく、先輩と一緒にディスカッションし、研究計画を決めていった。また、大腸菌の増やし方から、プラスミドの切り貼り、マウスの系統維持や、サンプルの固定や切片作製などなど、多くの実験技術を先輩から習った。僕が未熟だったからかもしれないが、こういう時分には、最終的な責任感を自分はいまいち持っていなかったように思う。自分の感覚としての話である。実験が失敗しても、そのこと自体には落ち込むが、真の意味では落ち込んでいなかった。教官や先輩に報告し、自分なりの解決法を述べて議論はするが、どこか他人事のような感覚があった。なので、実験が滞ってきても、背筋が凍るほどの焦燥感は出なかった。


ところが、修士・博士と進んでくると、その感覚は大きく様変わりしてくる。僕が所属したラボは、極めて放任主義のラボだった。直接の師匠を持たず、ほぼ1人1テーマで独自に研究を行うというスタイルだった。金銭的にも余裕があったために、ほとんど自由に研究を行うことができた。ある意味、とても幸福だったかもしれないが、ある意味、極めてシビアであった。今、自分がやっている研究を論文という形で完成させないと、学位を取って卒業することは叶わないということが「骨身に染みて」わかってくる。「テーマと心中するしかないね」と言われたという友人もいたが、自分の人生が、研究がうまくいくかいかないかという結果にかかっているという感覚になった。研究が滞ってきても、誰も助けてくれはしない。ディスカッションはするが、ヘルプはされない。また、自分が卒業するまでに完成させる論文のレベルによって、次の職(ポスドクとして留学するのをその頃は想像していたが)は左右され、自分自身のアウトプットが極めて直接的に自分の将来に直結するのである。


こういう状況になってくると、自分自身の研究を「他人事のように」取り扱うのはほとんど不可能になってくる。「うまくいかなくても別に俺が悪いんじゃない」とは言えなくなってくる。自分が動けば、研究は進むし、自分がさぼれば、まさにその分だけ研究が停止する。研究がうまくいかなさそうであるならば、自分が訂正すべきであり、他の誰もそれを行いはしない。ほぼ完全な自己責任である。研究が嫌になって朝が遅くなったり、論文を読むのが面倒になって適当にしたり、面倒くさいと思って必要な実験をしなかったり、そういう怠惰が頻繁に訪れたりもしたが、しかし、その怠惰は別に周りの誰も傷つけるわけではない、自分が停滞するだけのことである。「最終的には誰も助けてはくれない。頼れるのは自分の頭と手足だけ。」 少し孤独的な表現かもしれないが、最終的には全て自分であるという、この感覚は、未熟な僕には過酷な環境に置かれて初めて気付かされたことであって、何物にも変えがたい財産になった。


主体性を発揮して判断・行動するということから始まる
文章からはネガティブな印象を与える感じになってしまったかもしれないが、精神の自立、主体性の発揮は決してネガティブな感覚ではない。自分のことを自分で負うという、極めてポジティブな感覚ことだと考えている。
例えば、研究において、自分のラボにはないことがやりたいと思ったとする。主体性を発揮すれば、自ら進んで囲いから出て、自分で探し、共同研究することも可能だろう。そのようにボスに提案することも可能だろう。自分が有効に動けば動くほど、自分にとって利益となって帰ってくるのだ。
例えば、他人から「こういう研究が面白い」と言われても、それを鵜呑みにせず、自分の頭で考えるという行動につながる。本当にそれは面白いのか?そうは思わないなら、そう思わないことを自分で発現できる。ボスから「やれ」と言われたからやるのではなくて、ボスの提案は価値があるのかないのか自分で判断し、実行するか否かを自分が決定するということになる。精神の自立が確立していれば、最終的には、他人がどのように言おうが、価値があると自分が思ったなら、それを周りに発現し、実現するという能力へとつながっていくだろう。
「もう少し企業的な研究がしたいから就職活動を行おう」そう僕が思ったときに、そのときの周りからの意見はとても否定的なものであった。「企業で研究などできない」「企業での研究レベルは劣っている」、たとえ、そういった意見を聞いた場合でも、本当にそうなのかどうかは自分で考えて判断した。周りがなんと言おうとも、自分が「より良い」と思える方へ自分の足を向けられたのである。


自分の研究や将来に関する事柄について、他人の意見を考慮し情報を集めることは極めて重要だと思うが、最終的な判断は決して他人に左右されることなく、自分で決断するというスタイルが身に付いた。選択の主導権は決して自分からは離れない。他人に譲渡することなく、できるだけ自分で判断しようという決心が身に付いた。この感覚こそが、精神の自立という感覚であった。反応的な人間ではなく、常に主体性を維持するということだろう。
未熟がゆえに、判断を誤ることも多々あると思うが、年長者の意見の方がよっぽど的を射ているかもしれないが、それに依存せず(聞く耳を持たないわけではない)、それに判断を委ねず、第一に自分の頭で考えることが何よりも重要だと思えるようになった。
自分が主体的な人間かと聞かれたら、まだまだだと答えるだろうと思う。だが、精神の自立とはどういうことか。主体性を発揮するということはどういうことか。その片鱗を見ることができた。その重要性に気付くことができた。そのことを大事にして、今後益々精進していきたいと思う。


悪い意味での安定感の蔓延
会社に入って、ある仕事を担当すると、だいたいの仕事はより大きな仕事の一部分であり、その仕事自体が自分のものではないような不思議な感覚に陥ることがある。たとえ、自分の仕事を素晴らしく達成したとしても、給料が目に見えて上がるわけではないし、昇格するわけでもない、と思ってしまうからだ。自分の目の周りで、年功序列による昇給・昇格などを見ていると心からそう思えてくる。平社員のうちは、会社の一部、歯車の一部としての働きが多く、たとえ素晴らしいアイデアが浮かんだとしても、それを提案して早速実行するというのは、そのアイデアが自分の担当の業務に属している場合でなければ、困難である場合が多い。「コマの一つだ」を思うことは、モチベーションに対して、実にネガティブに作用する。また、たとえ自分の仕事が停滞したとしても、会社は困るだろうが、ひどい場合を除いて、降格や解雇につながらないだろうという、非常に悪い意味での安定感を感じる。
仕事をそつなくこなし、上司の指示に従い、それ以上はせず、たとえ自分の仕事の方向性が間違っていると思っていたとしても、それを周りに表現することはせず、自分の責任ではないと開き直る雰囲気が一部には充満している。日々の業務をこなすだけで、そういった、夢や希望、仕事に対する情熱を持たない人々も、会社には残念ながら少なくないだろうと感じる(もちろんそうでない人々も沢山いるだろうが)。日々が淡々と過ぎていき、日々の業務に埋もれてしまうのである。


事務的な仕事についている高校の同期が昔話していたが、仕事が忙しくて深刻なほど鬱的になったときに、会社の先輩から、「おまえがいなくなっても、会社が倒れることはない。おまえが業務を行わなくても、誰かが代わりにやるだけだ。」と言われ、ある意味のひどい責任感がなくなって肩の荷が下りたと話していた。
鬱病で会社を休む・辞めるよりは甚だましだとは思うが、しかし、「自分はコマの一つで代替品はいくらでもある」と考えることは、僕のモチベーションにとっては明らかにマイナスだ。これは仕事を単なる生活の糧とみなすものであり、仕事から「働き甲斐」を差し引く行為である。


このような、埋没した精神、支配された精神、反応的な精神にならないように、博士課程の間に得た精神の自立の考えは非常に役に立っている。自分はどういった方向に進みたくて、そのために何が必要で、どうすれば実現できるのか。そういったことを考える基本的な習慣が身に付いてきたと思う。これは、自分で考えるという、博士課程の体験から得られたものだと自信を持って言える。