高峰譲吉 理化学研究所設立への業績

2004年11月3日は、高峰譲吉の生誕150周年に当たります。彼は幕末に高岡(富山県)で生まれ、金沢(石川県)で育ちました。明治中期から大正にかけて、アメリカを舞台に化学・薬学の分野で世界的な業績を上げました。
 イリノイ州の田舎町ピオリアに研究開発会社を設立し、苦労の末に胃腸消化薬「タカヂアスターゼ」の開発に成功しました。この薬は世界中で売れました(今日でも広く使われています)。この仕事は酵素製剤と酸素化学の始祖とみなされ、そのため彼は、今日のバイオ産業の父とも海外では称されています。
 さらに、ニューヨークに移住した彼は、マンハッタンの地下実験室で、助手の上中啓三とともに、動物の副腎髄質から世界最初のホルモン物質「アドレナリン」の抽出・結晶化に成功しました。このホルモンは心臓の動きを強めて血圧を上げ、気管を拡張させます。今では、化学的合成され、外科手術では強心剤、止血剤として欠かすことのできない重要な薬剤として重宝されています。
 一方、彼は起業家精神に富む研究者でもありました。妻キャロラインの母親の援助で研究開発型企業を米国で立ち上げ、それを礎に米国の社会で巨富を築きました。のちに、日本の製薬会社・三共(株)の初代社長も務めました。まさに国際的ベンチャービジネスの元祖でもありました。
 また、彼が日本国内における研究者育成のために創設を提唱した理化学研究所は、渋沢栄一らの協力により実現。日本の科学振興に大きく寄与しました。

理化学研究所(りかがくけんきゅうじょ)は、1917年(大正6年)に創設された物理学、化学、工学、生物学、医科学など基礎研究から応用研究まで行なう日本で唯一の自然科学の総合研究所。略称「理研」。
鈴木梅太郎寺田寅彦長岡半太郎、池田菊苗、本多光太郎、湯川秀樹朝永振一郎など多くの優秀な科学者を輩出した。
後に理研コンツェルンと呼ばれる企業グループ(十五大財閥の1つ)を形成したが、太平洋戦争の終結と共に解体された。1958年に「特殊法人理化学研究所」として再出発し、2003年10月に文部科学省所管の独立行政法人独立行政法人理化学研究所」に改組されて今日に至る。