雑記 フジ子・ヘミング

4月3日、神戸国際会館にて「フジ子・ヘミング&モスクワ・フィルハーモニー交響楽団」を聴いてきた。ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」などが演奏されたが、一番よかったのはアンコール時のフジ子・ヘミングのソロピアノによる、リスト「ため息」と「ラ・カンパネラ」だ。プログラム上にリストがなかったので少々がっかりしていたのだが、予想せず演奏してくれたのでとてもうれしかった。
フジ子・ヘミングは16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失い、またウィーンに留学中、左耳の聴力も失ってしまう。ウィーンにてブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約し、ピアニストとして「一流の証」となるはずのリサイタル直前のアクシデントであった。フジ子は演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、彼女は耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以後は、ピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。1995年母親の死を契機に、日本に帰国し、1999年に復活のリサイタルを行う。彼女のデビューCDである「奇跡のカンパネラ」はクラシック界では異例の大ヒットとなっている。
ラ・カンパネラ(鐘)は、19世紀の名バイオリニスト、ニッコロ・パガニーニ(1782〜1840)のバイオリン協奏曲第二番第三楽章を元に、『パガニーニ大練習曲』として、リストがピアノ独奏用に編曲したもの。リストは若い頃、パガニーニのバイオリンの演奏を聴いて、その超人的な名人芸に感動し、「俺は ピアノのパガニ−ニになるんだ。」と叫んだのはとても有名な話なようだ。ピアノ演奏法の拡充に心を砕いていたリストにとっては、たいへん大きな示唆を与えるものだったらしい。
ラ・カンパネラは何度か楽譜を見たことがあるが、異様に難しい。リストは非常に長い指を持っていたことで有名だが、彼なら容易にあの曲を弾きこなせたのだろう。