カンボジア旅行 まとめ (1)

2010年12月末から2011年1月初めまで、年末年始の休暇を利用してカンボジアに旅行に行ってきました。旅行前は割りとドタバタでした。旅行を最初計画したのが9月ぐらいでして、旅行代理店に相談しに行ったのですが、年末年始を考えるには遅過ぎ。キャンセル待ちでずっと待っていました。出発1週間前ぐらいに急遽決まって、そこから VISAを大慌てで取りに行って、普段発行に2日かかる所を1日で発行してもらうなど、ほんとギリギリで出発できました。
新婚旅行のときはエジプトに行きましたが、夫婦共に遺跡群が好きで、何と言ってもあの圧倒的な迫力に感動するからです。年末年始で行けるアジア圏の旅行先を探していまして、今度はアンコールワットを観に行こう!ということになって、カンボジアへ行ってきました。
カンボジアの治安は安定してきているとはいえ、やはりそれなりに怖いということ、また現地はいまいち英語が通じないということで、現地ガイドが付くツアーにしました(年末年始なので価格はそれなりにしましたが)。カンボジアは一年を通じて暖かく(暑く)、12月1月は乾季で、気温は25度程度〜日中は30度ぐらいまで。エジプト同様、生水が怖いということで、日本で買ったミネラルウォーターや、胃腸薬、消化剤、下痢止め、などを買い込んでいきました。体調を壊した時用に、粉末のポカリスウェットやお粥なども常備。あと、日焼け止め、虫除け、虫刺され用薬、なども持って行きました(結果的には虫はあんまりいませんでした)。帽子も必要(冬でも結構太陽はきつい)。現地通貨はアンコールワット周辺地域(シェムリアップ近郊)はほとんど米ドルで大丈夫だということで、ドルを数万円程持って行きました。


1日目。カンボジアへは関西国際空港から直行便はなく、ベトナム(ホーチミンシティ)乗換え→シェムリアップ着というコースでした。関空ホーチミンシティがベトナム航空で6時間程度(時差−2時間)。ベトナム航空は全身青緑の機体で蓮のマークが付いています。機内は新しく綺麗でとても快適でした。飛行機乗換えで、ホーチミンシティに到着し、出発まで4時間ぐらい待ちました。ちょうど現地時間18時ぐらいでしたので、フォーを食べました。
シェムリアップ空港に到着したのが現地時間20時ぐらい。空港はとても小さな空港でしたが、あとから聞いたところによると、シェムリアップ周辺地域はアンコールワットよりも大きな建物を建てることが禁止されているということでした(京都のよう)。この日はホテルに直行して終わり。シェムリアップはまさに観光のためにできた街で、アンコールワット遺跡群とホテルと空港と観光客用の市街地という感じでした。
到着した日は29日だったのですが、現地はクリスマスイルミネーション一色!(笑)。カンボジア人は小乗仏教徒なのでクリスマスは祝いません。観光客のためのクリスマスだそうなんですが、25日を過ぎても続いており、結局、帰国の1月3日までずっとやってました。ホテルはアンコール ミラクル リゾート&スパ。とても綺麗なホテルでした。常駐の日本人の方がいました。






2日目。現地4日間の行程で、最もハードなのが今日です。まず、早朝4時に起きて朝御飯前にアンコールワットの夜明けの情景見学です。現地ガイドさん(チョムランさん)と出会い、ホテルからバスで15分ほどでしょうか、夜明け前のアンコールワットに到着しました。いやー大きいですね。広い。寺院の周りは環濠というお堀に囲まれていまして、これがまたでかい。年末年始ということで観光客も多く、西洋人も結構いました。最近多いのは特に直行便がある中国人と韓国人だそうです。
アンコールワットは王都の寺院という意味で、他の遺跡群と違い、西向きに建てられた寺院です。西向きの意味は、王の墳墓としての意味と、信仰神である太陽神ヴィシュヌの祭壇としての意味を持っているようです。実際、春分秋分の日には最も神聖な中央祠堂先端から日が昇るそうです。今回は12月でしたので、中央祠堂よりはだいぶ南にずれていました。朝靄のかかったアンコールワット、朝日が昇るアンコールワット、どちらもとても神秘的で幻想的な光景でした。ここで一端昼食のためホテルに戻り、内部の見学自体は午後に行きました。


ホテルでの朝食後、先にアンコールトムの観光に出発。アンコールは王家の都市、トムは大きい、大きな都城という意味だそうです。バイヨンと呼ばれる中央寺院を中心に、巨大な正方形の城壁に囲まれた都市だそうです。東西南北に4つの城門を持ち、南大門から入りました。
南大門は車と観光客の通行と、あと象の通行とで、ごった返していました。門から左右に、乳海攪拌を模した蛇神ナーガを抱きかかえる阿修羅像が並んでいました。多くの石像の頭部は盗難、或いは戦争による破壊に見舞われており、ナーガの胴体もだいぶ壊れていました。
門を潜り、バイヨンに向かってバスで移動します。城壁内部は鬱蒼とした森になっていますが、元々は木造建築の都市があったそうです。木造なので現代までは残らず、石造の寺院や建築物のみが残っていました。アンコールトムなどに限らず、多くの遺跡群は結構、状態が悪く、多くの遺跡で修復が行われていました。雨などの自然現象による崩壊以外にも、やはり戦争による直接破壊や、技術者の殺戮、また貧困によって修繕処置がなされてこなかったこと、などが原因で、遺跡群の崩壊度はとても激しいものでした。何とも勿体無い。現在では周辺各国からの援助を受けて、徐々に修繕を行っているようです。

バイヨンは中央に最も巨大な中央祠堂(王を意味する)、周辺に塔堂を持つ寺院です。各塔堂は4面に仏尊顔を持っていました。周辺の塔堂はアンコール王朝の各州都を意味していたそうで、王と周りの国々を意味していたそうです。アンコール王朝は全盛期、インドシナ半島のほとんどを支配域とする巨大国家であり、その影響力の大きさを表していたそうでした。塔堂に描かれている仏尊顔はとても穏やかで、優しい微笑みに見えました。内部は結構せまく、観光客が一杯でした。特に印象に残っているのは回廊のレリーフで、石を深めに掘ってあるので、綺麗に残っている部分が多くありました。当時の戦争の様子や生活など、レリーフはとても肌理細やかでした。
バイヨンを離れ、次に向かったのが、象のテラスと、ライ王のテラス、勝利の門など。象のテラスでは名前の通り、象のレリーフが多く描かれていました。ライ王のテラスは、ライ病に罹ったとされる王の像。プラサートスールプラット(綱渡りの塔)など。象のテラスの前は祝典や祭事などが行われたそうで、開けた広場になっていました。





アンコールトム見学の後、昼食と休憩のためにホテルに一端戻りました。午後は、いよいよアンコールワット内部見学です。アンコールワットも近付いてみると、結構損傷が激しく、前部はブルーシート(グリーンシート?)で覆われていました。結構、ずっと修理しているそうです。
見学の中で、やっぱり一番良かったのは第一回廊のレリーフ。長い廊下の端から端まで延々と、極めて細やかなレリーフが続いています。エジプトの壁画などとは違って、アンコールワットレリーフは、構造が入り組んでいて複雑で、描かれている人も物も膨大な量でした。レリーフのモチーフとなっているのは、インドの叙事詩であるラーマーヤナマハーバーラタという物語だそうです。天国と地獄の場面もあり、閻魔大王様(ヤマ神)も描かれていました。
面白かったのは、1632年に日本人の森本右近太夫という人が書いた落書き。将軍家光がよこした視察団はここを祇園精舎だと誤認していたそうな。それほど立派な寺院だったということだろう。ガイドさんいわく、アンコールワットの外壁は当時はおそらく金ピカに装飾されていただろう、ということなので相当素晴らしい寺院だったのだろう。
あと、アンコールワットもトムも、元々はヒンドゥー教の寺院として建立されたが、途中から仏教に変わったので、内部には仏像が何箇所か置かれていました。逆に、ヒンドゥー教レリーフは破壊されたりしていました(何とも勿体無い)。綺麗に残っていたのは、アプサラという天女の壁画で、一体一体異なった装飾や顔付きを見ることができ、とても綺麗でした。
中央祠堂にも登りましたが、その階段が非常に急で、また人が混んでいたので、とても怖い思いをしました。一際高い中央祠堂から周りを見ると一面森。アンコールワットが森の中に潜み、何年も見つからなかったというのは納得。


さて、見学の最後に、アンコール遺跡の夕刻情景を拝もうということで、ちょっと離れた場所にあるプノン・バケンという丘から夕日を拝みました。頂上まではちょっとした登山。象に乗って上がる人もいるそうです。頂上に上がると、ここも、人、人、人。遺跡の西面には人が群れてました。とはいえ、きっちり夕日を拝むことができ、ちょっと長かった今日一日の終わりです。
ディナーは、伝統舞踊アプサラを観賞しながらのビュッフェ。味はいまいちでしたが、綺麗な踊りを堪能することができました。この日はとても疲れたので、ホテルに帰ってからは二人ともすぐに寝てしまいました。