(23) なぜアカデミア志向は瓦解したのか

昨日、なぜアカデミアという進路に束縛されてしまったかについて述べたが、では、進路固定はどうやって融解したのか。


就職しようと思ったきっかけはかなり早い段階だった。おそらくM2の時にぼんやりと思い始め、D1、D2で強くなっていった気がする。


それを崩し得たのは、培った経験による自分自身や分野全体の自分なりの評価、先輩研究員などの周りの状況、将来設計の展望、研究に対する挫折などが複合的に発端となった。そうして心情の変化が生まれていった。それに、博士の就職活動を行った友人からのアドバイス(叱咤?)、修士で就職していった友人達の物の考え方、そういったものが推進力となり、数年来の意識は瓦解していった。「目が覚めた」という印象が強い。


まず初めに生まれたのは、現在のキャリアに対する、以下のような強烈な不安であった。


アカデミアに献身することを肯定できなかった。
生物学に対する思い入れはかなり強固であった。おそらくもう一度人生を歩んでも、生物学を選ぶだろう。他の学問にも興味はあるが、生物学からは離れたくないという思いは結構強いものだった。
しかし、学問に献身する気は毛頭なかった。真理の追究にこの身を捧げようというような思いはさらさらなかった。ゆえに、研究ができればどんなに貧乏でも構わない、30歳、40歳でアルバイトしてでも、とにかく研究が続けられれば文句はない、とは決して思わなかった。また、両親や配偶者などに支えてもらってでも自分の研究をひたすら続けたい、とも決して思わなかった。むしろ、授業料というお金を払って、「労働させてもらっているこの生活は一体何なんだろうか」、といつも疑問に思っていた。


アカデミックキャリアに対する不安を駆逐できなかった。
アカデミックキャリアに対しては相当な不安を感じていたのは確かで、それが現実になるのか、空想で終わるのかわからなかったが、とにかくその暗い将来性を拭い去るような客観的事実(例えば自分自身の業績、或いは業界全体が今後好調になる兆し)は感じなかった。政府によってキャリアパス支援事業が開始されてもまったく思いは変わらなかった。ゆえに精神的に不安を駆逐できなかった。少し弱気に表現すれば、自分のキャリアとして、将来性の不安を駆逐するだけの業績や自信を確立できなかったと言えるかもしれない。


経済的不安を解決するような実質的基盤(後ろだて)や精神的基盤(自信)が確立できなかった。
例えば親が裕福であるとか、医者の免許を持っていて、万が一の場合でも何とかなるとか、そういう状況であったら、別の選択をしていたかもしれない。
なんか愚痴のようになってしまうが、僕は学振など、返還しなくてよい給料をもらわなかったから、お金に関しては周りの人間よりも少しはシビアに考えてきたのかもしれない。お金が止まれば、生活が困窮するのは明白であり、それは実に身近な出来事であった。
さらに、日本学生支援機構奨学金返還免除制度の改変も大きく影響した。免除職制度の廃止が決まり、これによって、奨学金はほぼ完全に借金扱いとなり、3年間でその借金は膨大なものとなった。これだけ毎日真剣に働いていたのに、マイナスから始まる人生って一体なんだろうか。これ以上、借金を増やす方向に進むわけにはいかないと感じた。
また「自分の能力があれば、この世界でも食うのに困らないだろう」という確固たる自信を確立することはできなかった。もちろん、現在の日本社会において、真に明日の飯も食えないような困窮状態に陥ることは稀であろう。しかし、移動(学会参加や転職に伴う引越しなど)、結婚・教育(子供の養育)、身の回りの様々な事柄で、お金は重要である。また、多い金銭の消費が多くのチャンスを与える世の中になってきているという思いが強かった。
また、修士で就職していった友人達を見て、うらやましいという思いを否定できなかった。本当に食えなくなるほど困窮することはないとはいえ、格差社会が広がる現代日本において、いわゆる負け組(嫌いな言葉だが)になったとして、それでも「好きなことをして生きてきたから何ら不満はない」と言い切るだけの自信はなかった。そこまでの思い入れはなかった。そうなった時に自責の念に耐えられないであろうと思った。


結局のところ、ポスドク(及びその後)の『職業』としての魅力の小ささが最も強烈だった。
いくら日頃の研究が楽しかろうが、スポーツの世界で選手の活躍が40歳前後で終わってしまうように、現実的な意味での職業としての研究者の魅力が40歳程度で尽きてしまうなら意味があるだろうか。アカデミックキャリアプランについての深刻な不安は至るところで論じられているし、僕のブログでも色々書いたから繰り返さないが、とにかく結論として、『アカデミア研究』に対する魅力そのものよりも、むしろポスドクという『職業』に対する魅力があまりにも小さいと判断したからである。
多くのところでも述べられているように、「一生ポスドク(或いはそれ以下)」という可能性も現実的である。PI的ポストが少なく増加する見込みもなく、その上アカデミアに固執するなら、その結論は自明であるとも思える。この状況下に僕自身は仕事に対するやり甲斐を見出せないだろうと結論付けた。



そうして、企業への就職活動を始めようかと考えたわけだが、当初は思考の方向性も実に不安定でありネガティブであった。「価値観の固定化」や「アンチ-企業」といった思考が頭を占領したが、就職活動の間に、自分の人生を再確認した。歪んだ思考を融解させたのは、自己分析であった。
なるべく仕事にやり甲斐を感じながら楽しく生きていくためにはどうしたらいいのか。そもそもそのために必死で頑張って大学受験を頑張り、授業料払いながら日々研究してきたのだ。やり甲斐を感じながら楽しくできる仕事を探すことが本来の目的とも言える。これが動機の根源であると思える。それを分析しているうちに、自己の判断の本質が見えてきた。


何がキャリア選択の本質なのか
今までの人生を振り返り、どういう状況になれば僕はやりがいを感じるのか。どうなれば自分の夢が叶ったと思えるのか。どういう方向がベターだと思えるのか、その判断の基準は何なのか。そういうことを、深く、深く、探していくのだ。まさに、言葉通り、自己分析である。
いわゆる志望動機も自己分析の一部である。自分はどうしたいのか、どうなりたいのか、どうしてそうなりたいのか。自分はこうなりたい、だから、そこで働きたいのである。
僕の場合、どうしたらやりがいを感じるのか。キャリアを選ぶ上での、最も根幹は何なのか。自分の人生の目的は一体何なのか。アカデミアに居続けることが人生の目的なのか。そんなくだらないことが目的なわけがない。プライドを満たすことが、自分の人生の目的ではない。今、自分のやっている研究を完成させること、研究を進展させることが目的なのか。そうではない。生物学で研究したいとずっと思ってきた。なぜ生物学で研究したいと思ったのか。生物学が今後の医療技術の核となる技術であり、それを学ぶことによって、医療に貢献するような職に就きたいと思っていたからだ。アカデミアを選らんだのは、もっとも基盤にあり、もっとも影響力が強いと思ったからだ。そうか、それが原点だったのか。『技術開発を通して医療に貢献する』ような職業に就くことが僕のキャリアの根幹だったのだ。そうであるならば、アカデミックキャリアへの道は人生の目的を達成するための単なる一つの手段でしかないじゃないか。


自分としては、学生時代から今までずっと、上のような意味での生物学という分野で最先端な研究をしたい(続けたい)という欲求が強かった。しかし、進路変更を決断する直前の時期、このままアカデミックにいても生物学を続けられなくなるのではないかという強烈な不安が襲ってきた。自分の夢は達成されないのではないかという思いが強くなってきた。アカデミックキャリアに進むことによって、本来の目的が達成されないのならば、そのキャリアにこだわることに何の意味もない。


同時に、もし修士で就職していれば有名企業で生物学の最先端の研究を行えたのではないか。つまり、自分の夢が叶ったのではないかという後悔。進学の時の自分の判断は、キャリアを全体的に見れば誤っていたのではないかという後悔。そういうものが襲ってきた。これは相当に辛い後悔であった。なぜなら、自分の夢を叶えるために、アカデミックに進学してきたのだとずっと思っていたからである。
本当に修士の時に就職していれば、より良い状態、よりやりがいがある研究に従事し、社会的にも金銭的にもより恵まれた環境で仕事ができる状態になったかどうかは、もはや定かではない。そっちはそっちで、博士課程に進学しとけばよかったと後悔したのかもしれない。
とにかく、博士過程を卒業する時点で企業就職すれば、自分のキャリアを少なからず「修正」し、本来の目的である、生物学に関わり続けるという目的が達成されやすくなるのではないかと僕には思えたのである。



「好きなことをするのが一番」という怪しい意見を肯定することはなかった。アカデミアを離れたからといって、好きなことができなくなるとは到底思えなかった。
「好きなことをするのが一番」だとよく言うが、みんな本当にそんなに「好きなこと」をできているんだろうか?これまでの業績でポジティブ・ネガティブフィードバックがかかり、進路は大きく影響されるし、コネもあるし、運もある。より漠然と、「研究という好きなことをやってるんだ」と思い込んでいるだけなのではないのだろうか。むしろ、「そう思い込んでいないとやってられない」というのが本音ではなかろうか。また、誰だって自分が発見したものはそのもの自体の本質的な価値と無関係に可愛く映り、それを育むことが好きになるのは当然である。
「就職すると好きなことができなくなる」と思うのはなぜなのだろうか。「就職とは妥協だ」というのは一体どこからやってくるのか。本当に研究の世界は妥協がない天国なのだろうか。アカデミアに属しているだけで、「とにかく好きなことをやっている」と思うのはどうしてなのだろうか。
「好きなこと」は今いる世界以外に他には皆無なのだろうか。「やってみれば何でも面白いし、何でも面白くない」という思いを大事にしようといつも思っている。何でもというのは言い過ぎかもしれない。「やってみれば面白いことは山ほどあるし、同時にそれらは面白くない面を持っている」と言い換えた方がよいかもしれない。自分がやってみたことがないことに対して、やってみても面白くないと過去の経験から断言するほど、自分の人生はまだ長くない。同時に、100%楽しいなんてことは存在しない。面白いとよく言われるアカデミアの研究においても、面白くないことなんぞ山のようにある。
これは人間関係やその世界の構造においても同様のことが言えると思っている。どこの世界でも白いところも黒いところもあるだろう。程度の違いはあるだろうが。


博士の就職に関してブログを書かれているいんぱくとふぁくたーさんの言葉を借りると、より的確に表現できる。
『アカデミアも、ビジネス側も、どっちも大差ないって。やってる人たちは所詮みんな人間なんだからさ。』



ところで、就活中に、
リクナビNextの「叱ってちょーだい」というコーナーに出会った。その中の、中村うさぎさんの言葉が気に入ったので、紹介したい。

「向いていること」には自信を持っていい
 つまり、「好き」と「向いている」は違うということなんですね。向いている仕事を探した方がいいと、私は考えています。好きなことだと、自分のスタイルに固執しちゃう。ミュージシャンであれば「オレはこういう音楽をやりたいんだ」とこだわって仕事にならない、とかね。それは趣味に止めておいたほうがいいわけです。

 私は文章を書く仕事をしていますが、お金をもらう以上は好きじゃなくなるものだと思ってます。仕事であれば締め切りは発生するし、書きたいことばかり書けるわけではなく、周囲からの期待や評価に揺り動かされることもしょっちゅう。得意なものであれ、好きなものであれ、仕事にした時点で責任が発生するので、イヤなことはたくさん起こるもの。私はただ、「向いている」んだと思うのです。

 あとは、好きなことは突然、嫌いに転じてしまう可能性があるけれど、向いていることはそのための素質や能力があるので、突然向かなくなることはない。計算の得意な人が、いきなり計算できなくなることはありませんからね。だから、向いている仕事というのは自信を持っていいんです。若い頃は誰でも好きなことを仕事にしたいと願うけれど、それが本当に幸せかというと、そうじゃないと私は思います。あなたの「向いている」ことにも目を向けてみましょうよ。

この言葉のように、僕は、「研究が好きだ」というよりは、「研究のような、論理的思考力と計画的遂行能力、問題解決力が必要とされる作業が得意である」と感じた。よって、そのような作業を多く行う仕事に就く方が、自分をアピールすることができる、有利になると考えた。さらに、そのような仕事になるべく長く就く方が自分の能力が発揮され、そしてそのことによって評価される機会が多く得られるだろうと考えたのだ。
よって、修士・博士の時にやってきた研究は確かに面白かったし好きではあったが、「論理的思考力と計画的遂行能力、問題解決力が必要とされる作業」で自分をできるだけ長期に渡って活かすべきだと考え、そこまで意識が到達すれば、もはやアカデミアの研究にこだわる必要はまったくないとの結論に至ったのである。
同時に、「論理的思考力と計画的遂行能力、問題解決力が必要とされる作業」で自分を活かすのであれば、研究という職業にすらこだわる必要はないかもしれない。自分を有利にアピールできる場が出現すれば、もはや研究職という枠組みすら必要ではないのかもしれないと今は考えている。


そもそも頭の構造が工学部的であった。
例えば、進化の研究がある。例えば、亀がなぜ甲羅を持つに至ったかは、進化を研究する上では重要な問題だろう。ただ、亀の甲羅がどうであれ人間の営みに大きな影響はない。僕は例えば「亀の甲羅の発生がどういう遺伝子で制御されているのか」という研究テーマがあったとして、それを「読み物」として読む分にはいいが、自分が実際手を動かす「研究テーマ」にはしたくない。そういう研究は「学問的知識」であって、直接人間社会に益するものではないと心の奥底では思っていた。
分子生物学は常に、どこかで医学に通じているような、人間社会に寄与しているような、実生活に近いような「錯覚」を与える。しかし、基礎研究はあくまで基礎研究なのだ。何かの病気の原因遺伝子を扱っていたとしても、「あなたは本当にその病気の人と接したことがありますか?」ということだ。それを履き違えてはいけないと僕は思っている。ところで、基礎科学においては、一見すると人間にとって何の役に立つのかわからない研究から突如大発見が起こる事例がある。教科書を覆し、人間の意識を根底から変えるような研究結果は、その後の科学を一変させ、産業を産み出し、生活を激変させる。が、そういうものに出会うには、恐ろしいほどの能力か運が必要であるという思いがあった。
また、最近の分子生物学の風潮として、何か、どんどん問題設定が煩雑化していく印象は受けていた。「どこまでやればわかったと言えるのか」という問題だが、多くの研究がどんどんマニアックになり、「それがわかったところで、一体どうなるのか」という心理的解決が困難になってきているように感じる。


バイオテクノロジーの発展に対しては揺るがないという思いを持ち、特にビジネスの分野で今後伸びて行くだろうと信じている。もちろん、日本のバイオが産業として育っていないことなどもよく理解しているが、それでも医療などの分野において、バイオテクノロジーが発展していくことを信じていて、同時にその発展そのものに加わりたいという思いがある。よって、ビジョンとして、バイオテクノロジーがどのように市場に関わっていくかという側面で活躍したいという思いが強い。そのため、キャリアとしては、企業人志向が強いということになる。また、社会への成果還元、社会とのフィードバック関係、利益が大きい場の方がより多くの人材が必要とされ、自分を活かすチャンスが多いとも感じていた。
 このようにそもそも研究室に所属した当初から、最終的には商品やサービスとして実生活に直接的に影響するものとしての科学に興味があった。ポスドクに進んで企業就職を目指す、或いはどこかで起業して商売するという方法もあるにはあるが、現時点の日本の状況では極めて綱渡り的決断だと判断した。事実、多数の意見からするとポスドクに進めば企業への道はかなり深刻になると考えている。


他分野の人達と交わることによって、グループによって仕事を達成したい欲求があった。
多人数と切磋琢磨し集団としてアウトプットを出すことが重要であるし、その経験を積むことが将来のキャリアに必要になると思っていた。企業では当然のことであるし、選考の時もコミュニケーションスキルを重要視している様子は度々窺えた。
実は、自分では、自分はコミュニケーション能力が高くないといつも感じている。リーダーになって引っ張ったり、場の空気を支配したり、存在感の強いキャラクターを発揮したり、そういうことはこれまでの経験からはあまり得意ではなかった。しかし、自己実現のためにはその能力は必須であると考えているし、その能力が鍛えられる企業という世界の方が自分にとって為になると思えた。また、得意ではないのだが、他分野の人達と交わることが楽しいと思える性格であった。一所にどっぷりと浸かるよりも、常に新鮮な環境を好む性格であった。


集団としてのアウトプットの重要性は企業に限らず、これからのアカデミアでも必ずそうなると思っている。有名雑誌の著者の数を見ればよくわかると思う。
技術的なレベルが深まれば個人で達成できることは段々限られ、集団として成果をアウトプットする方向に進まざるを得ない。


職業の良し悪しではなく、自分のやりがいの問題として
『アカデミア=役に立たない、企業=役に立つ』という単純な図式を頭の中に描くことは大きな誤りであると思っている。両者が並立してこそ、科学技術の発展に向かうものだと考えている。
僕は、とにかく、自分は実生活に関係した科学技術の現場で働きたいと思っていた。製作者と消費者とのフィードバックループがある方が楽しそうだと思えたのである。
要するに、自分の仕事のやり甲斐の問題として捉えることが重要であると思う。僕は実生活に関係した科学技術の方が満足感を得るだろうと思ったのだ。自己実現や評価、自己の向上などの点において、企業での仕事の方が自分に適していると思えたのだ。
たとえ、進路を変える場合においても、おのおのの世界は否定されるべきではなく、自分のやり甲斐としてベターな選択肢を行うべきだと思う。


最後に価値観の固定化、固執の打開について
アカデミア志望からの転換理由をあげると、「自分の選択を正当化しようと後から理由を付けただけだろう。」と言う人がいる。半分当たりで半分はずれだと思う。
おっしゃる通り、就職活動を始めた当初は、不安を打開したいという思いだけがほとんどだったが、しかし「アカデミアに自信がないから逃げてきた」という志望動機では、どのような会社であれ、通るわけがない。
冒頭で述べた通り、色々な考え方の転換(或いは復活)は、自己分析の結果である。次第に形作られたものである。要は、こういう機会を真に持ちえているのかというところの問題だと思う。
逆に、「どうしてアカデミアに固執するのですか?」、この質問に答えられる人は多いだろうか。
どちらの場合でも、本来は自分の考えを述べられるはずなのだが、そのような機会を持ちえていないように思える。


価値観の固定化を破壊する作業が必要だ。
人によって、その方法は多種多様であると思うが、二つの点からこの方法を考えてみた。
一つ目は、多様な考え方を知るきっかけを得るということだ。一つの環境に入り浸れば、思考形態に関して、恐ろしいほどの刷り込みが行われる。しかし、少し環境が変われば、人間の考え方というものは驚くほど多様であることに気付く。こういった機会を積極的に多く持つべきなのだ。


二つ目は、そもそも研究者というものは、偏見や固定概念を破壊していくという作業が得意なはずであり、それを為すべきであるということだ。
多くの研究者が望む研究者の理想像というのは、誰もやったことがない独自のアイデアでもって、誰も進んだことがない境地へと足を進めていく開拓者であろう。そうであるならば余計に、周りの意見に同調して進路を固定化すべきでないと言えるのではないだろうか。確かに周りの目というのは気にはなる。気にはなるが、そういったものに自分の考えや進路が縛られるのは愚かなことだと言えるのではないだろうか。